2019年10月22日火曜日

あの携帯電話開発競争は何だったんだろう

子供の頃は技術立国日本と言って高い技術は世界トップレベルだと思ってた。失われた10年とか20年とか30年とか言うけれども、それはバブルが弾けて不況に陥ったからで日本には高い技術があることは変わらないと思ってた。

そうした不況の中の2000年代の10年間くらい、日本の技術者は携帯電話の開発に投入されていた。他の製品はなかなか売れない中売上を伸ばす携帯電話は競争が激しく、1年に3回とか新しい製品をリリースしていた。技術者、時間、金、多くのリソースが注がれて高品質な製品が生まれているはずだった。携帯電話は小型化高品質が要求される日本の得意分野で世界的にもトップレベルで高性能だと思っていた。しかし、海外では通用しなかった。

それは日本では携帯電話会社からの補助金により高級端末が開発されてからだとか、3Gになるまで通信方式が日本と異なっていたためだとか言われていた。海外では日本の携帯電話ほど高性能ではないが安価なNokiaやモトローラの製品が席巻していた。ドコモのiモードも一時期海外展開をしたが失敗に終わった。

2007年アップルがiPhoneを発表し2009年には日本でも販売され、皆ご存知の通り一気に日本のメーカーのシェアも駆逐された。なぜ日本でiPhoneを作れなかったのか?という指摘もあるがそれはしかたがない。破壊的イノベーションというのは日本の苦手とするところだ。あくまで改善、改良、小型化、高性能化といった路線が日本の得意技だと言われていたからな。

しかし、日本にはまだチャンスがあった。その後Androidが台頭し日本の苦手なソフトウェアの部分はGoogleに任せることができ、日本のメーカーはハードの開発に注力することができた。むしろこれで日本のメーカーは世界と対等に殴り合いができる状態になったはずだった。そして敗北した。ガラケーのときはたくさんのメーカーが携帯電話を作っていたがAndroidの携帯開発となるとパッとせず、パナソニックやNECやら東芝など次第に撤退していった。開発を続けているのはソニーと台湾メーカーとなったシャープくらいで、それも世界的には存在感がない。韓国、台湾、中国メーカーで世界は染まっている。

今振り返ってみると、あのガラケー時代の激しい開発競争は何だったのか?あの時培われた技術は何かの役に立っているんだろうか?成長分野が限られてる中、携帯電話にリソースを集中したはずなのに、その携帯電話市場は海外勢に駆逐されて日本の電機メーカーはもはや行き先がなくなった気がする。

2019年5月8日水曜日

「本当にお疲れ様でした」って丁寧?

先月イチローが引退したときに「本当にお疲れ様でした」ってねぎらってるコメントをよく見かけたけど、なんか違和感があった。もっといい言葉ないの?
何が変なのかというと「お疲れ様でした」には称賛や敬意がないんだよね。あのイチローだよ?前人未到の記録をぶち立てて真摯に野球に取り組む姿は多くの人に感銘を与え尊敬されているあのイチローだよ?
英語だと偉大なキャリアおめでとうという祝福の挨拶がされてるみたいだったけど、日本だと「お疲れ様」ばっかりでそれでいいのか?それ軽すぎないか?そんなのプロになって3ヶ月でレギュラー外れて1年目で引退した選手に対しても使えるじゃないか。

そして今度は天皇陛下の退位に対してもやっぱり「天皇皇后両陛下お疲れ様でした」だよ。失礼じゃないかって話題になってたけど。マナー講師のでっち上げみたいな話になってるけど、そりゃ日本語としては合ってる。敬語として間違ってるとかそういう話じゃない。間違ってはいないがあまり適切ではないと感じる。
明確な根拠があるわけではないが以下の様な点が理由。
  • カジュアルすぎる
    そもそも「お疲れ様です」が便利に日常使われすぎてる。それを天皇陛下の退位の折に使うのは、なにやら結婚式の新郎が普段のスーツ着てるような感じ。確かにフォーマルだけど、もっと上のレベルないのか?
  • 称賛の意味がない
    「お疲れ様」って苦労をねぎらってるだけで内容に触れてない点が使う側としては便利。しかし、素晴らしい仕事をしても大失敗しても「お疲れ様」で済まされてしまうので中身は空虚だ。料理を作ってあげたのに「お疲れ様」だけで味について触れられなかったらまずかったんだろうか?と考えるだろう。
  • 疲れたかどうか勝手に決めんな
    カジュアルに使わすぎてて仕事じゃなくて遊びのあとでも「お疲れー」で解散するのが普通だ。でも遊びだったら疲れたんじゃなくて楽しかったほうがいいだろう。仕事も同じ。穿った見方かもしれないが天職とも言える楽しい仕事をしてるのに「お疲れ様でした」というのは「それ疲れる仕事だよね」と言っているようで失礼にならないだろうか?とちょっとひっかかる。
それじゃ、一体何といえばいいんだよっていう声はよく聞く。確かにこの場面で適切な言い方はこうだっていうコメントは見つからない。おそらく答えはないのだろう。
つまり「いただきます」を英語でなんていうんだ?っていう質問に対しては、英語では食べる前に挨拶をする習慣がないと答えるのと同じように天皇陛下の退位に際して庶民がねぎらう言葉はないのだろう。
なにしろ人間宣言をしたとはいえ現人神という扱いである。神様に対して「お仕事お疲れ様でした」ってピントが外れている。神なのだ。疲れなどせぬわ!

もう一つ。目上の人には「お疲れ様でした」は失礼ではないのか云々で読んだコメントの中に、教師をやっているが教え子に「お疲れ様でした」って言われると腹が立つっていう話は同意する。「お前のためにやってんだろ!」ってなるわ。その枠で考えると天皇陛下は国民のために政をしているわけで、その国民から「お疲れ様でした」って言われたら失礼と捉えられても仕方ないかもしれない。
労うのではなく、感謝すればいいのだ。

2019年4月22日月曜日

諭吉って表現がだいぶ板についてきたよね

紙幣が2024年に刷新されるということで新デザインがの発表がニュースになりました。1万円札が慣れ親しんだ福沢諭吉から渋沢栄一に切り替わるということで違和感があるという意見がありますがここで1984年の「ハイスクール!奇面組」の8巻を見てみましょう。




2019年2月25日月曜日

そもそも有権者にまともな意志決定能力がないのではないのか? という調査 という記事を読む前からどうも民主主義というのはそろそろ限界なのではないか?と思い始めてきた。
Brexitといいトランプ大統領の当選といい、大衆受けだけ狙って理性的とは思えない主張が勝ってしまう出来事が続いてる。先日の沖縄の辺野古米軍基地建設のための埋め立ての賛否の県民投票の結果もなんだか衆愚的だなと思う。
民主主義は国民それぞれが正しい判断で投票してることを前提として成り立ってるわけだけどそんなことないのは自明なわけで、消費税の賛否なんて投票させたら絶対に成立できない。税金は上げない、福祉は充実させる、当然借金まみれでそのままデフォルトするだろう。
選挙なんてその日の天気で結果が変わるんだから全く当てにならない。記事にもあるけど、今の大規模な機械学習で分析したらほとんど政策の中身なんて影響してないことがわかるだろう。
そして昨今のAIブームで制作決定もAIにさせたほうがまともな結果になるんじゃね?っていうのは至極まっとうな意見で、そうなると選挙なんて意味ないのでやらなくなって、そうなると国民主権って何?って状態になって民主主義が終了する。

それでいいんだろうか……。それはそれで合理的で今より人類は幸福になりそうだが、そうなると人間が家畜っぽくなってしまってどうにも嫌悪感がある。しかし、それを避けるシナリオが思いつかない。