2025年10月5日日曜日

ルミネの江口寿史のトレース問題は肖像権じゃないのよね?

ルミネのイベントで 江口寿史が無断で写真を使ってた話題なんですが「肖像権」の問題だという言及があって違和感を覚えました。法律の専門家ではないのでにわかの知識ですがこの件について肖像権は関係ないのでは?と思います。

私の浅はかな知識だと肖像権というのはプライバシーの権利に含まれるもので勝手に顔写真を公表されるとプライバシーの侵害となります。身バレされたくないので顔隠して活動しているVチューバーの顔写真を公開するのは、典型的な肖像権の侵害といえるでしょう。また芸能人は顔が売り物なので他人に勝手に利用されるのは困ります。ファンが自分で撮った写真でもアイドルの写真を勝手に売るのは肖像権の侵害となります。著作権は撮った人が有するので著作権の侵害ではないです。

そういう前提で考えると、この件に関しては絵を見ても誰なのかはわからないのでプライバシーは侵害されていないように思います。本人ですらこれ私じゃない?ってようやく気づく程度です。江口氏本人が認めたからはっきりしたけど「いやいや偶然です」と突っぱねたらとても似ているとしか言えません。第一、似顔絵には肖像権は適用されないんじゃないかと思います。例えば政治家の風刺画なんか誰なのか明示的ですが本人の許可は取っていません。日本の裁判では撮影が認められていないので裁判での被告の様子がスケッチで公開されますがあれも本人の許可取ってないと思います。もし似顔絵で肖像権の侵害が認められるならあれもできないんじゃないかと思います。

この件は似顔絵というわけではなく、写真がトレースじゃないかと思うくらいにそっくりな絵が公開されました。この場合、問題になるのは肖像権ではなく著作権でしょう。写真にも撮った人の著作権があります。もし撮った人がモデルと同じでなければ訴えられるのは撮影者です。自分の著作物を勝手に商用利用されたということで権利侵害があったと言えそうです。

おそらく本件は自分で撮影したものでいずれにせよ権利者だと思いますが、当人のコメントは「わたしはわたしだけのものであり、人間としてさまざまな権利を有しております。」でやっぱり著作権の問題ではない認識のような気がします。実際にはどうなのか詳しい人がいたら聞いてみたいです。

この件は心情的に不快感があり問題があることはわかるのですが、いろいろコメント見てると肖像権についての認識が人によってかなりブレブレだということも気になりました。

2020年8月8日土曜日

重複の読み方

重複の読み方は「 じゅうふく」か「ちょうふく」かという記事が結構あるが、辞書から言えばどちらも正しい読み方だ。

しかし、Webにある解説記事見ると度々「本来は「ちょうふく」が正しいです」という記述を見る。それはそうなんだが昔の話を持ち出して「本来は~」というと切りがない。国語学者じゃないのだから「あたらしい」ではなく「あらたしい」が本来正しいですと言われても、へーそうなんだという豆知識程度の話だ。

「本来は~」と歴史を語っているのに一体いつ頃から「じゅうふく」と読まれるようになったかというと詳しい説明をしている記事がない。僕がどこかで見た話だと江戸時代には「じゅうふく」と読まれるようになって明治だったか昭和初期には辞書に載ったらしい。つまり100年以上前から辞書に載っている正しい読み方だ。しかし、ちゃんと書いてる記事が見つからない。

そして「じゅうふく」と読んでいる人の割合は7~8割という話だったのでなぜいまさら間違った読み方ですと広める必要があるのだろう?と思ってたら、この草の根の矯正運動が功を奏したようでマイナビニュースの記事によると一気に「ちょうふく」が多数派に戻ってきている。

今回の調査では「ちょうふく」と読む方が60.3%、「じゅうふく」と読む方が39.7%という結果になりました。10年程前に行われた文化庁の「平成15年度・国語に関する世論調査」では、重複の読みを調べたところ、「ちょうふく」と読む方が20.0%、「じゅうふく」と読む方が76.1%でした。

 ただ、僕としては「じゅうふく」のほうを押したい。というのも「重」を「ちょう」と読むのは貴重とか重宝とか大切なものという意味で使われる場合だ。それに対して「じゅう」は二重、重箱、重音など重ねるという意味でよく使われる。重複は明らかに重ねるの意味だから「じゅう」と読むほうが規則性がある。

と思ってたらこういう記事もある

「重」には「重なる」の他に「重い」という意味があり、前者の意味を持った熟語は「ちょう」、後者の意味を持った熟語は「じゅう」と読ませるものが多いです。

例えば「ちょう」と読ませるものには「慎重」「貴重」「重宝」、「じゅう」と読ませるものには「体重」「重力」「加重」などがあります。

「じゅう」と読ませる熟語は、いずれも物理的な重さに関係するものです。

「重複」は「重なる」という意味を含んでおり重さには関係がありません。そのため、本来は「ちょうふく」と読むのが正しいのです。

おいおい、重なるの意味で「じゅう」と読ませてることめっちゃ無視してるじゃねーか。

これに限らないんだけど、Web上にある日本語の解説記事(本来の読み方、本来の意味、正しい敬語等)ってかなりいい加減なものが多い印象がある。根拠もなく言い切ってて一体なぜそれが間違っているのか?ということに言及してない。そうやって誤った情報で言葉狩りがすすでしまうのは悲しい。

2019年10月22日火曜日

あの携帯電話開発競争は何だったんだろう

子供の頃は技術立国日本と言って高い技術は世界トップレベルだと思ってた。失われた10年とか20年とか30年とか言うけれども、それはバブルが弾けて不況に陥ったからで日本には高い技術があることは変わらないと思ってた。

そうした不況の中の2000年代の10年間くらい、日本の技術者は携帯電話の開発に投入されていた。他の製品はなかなか売れない中売上を伸ばす携帯電話は競争が激しく、1年に3回とか新しい製品をリリースしていた。技術者、時間、金、多くのリソースが注がれて高品質な製品が生まれているはずだった。携帯電話は小型化高品質が要求される日本の得意分野で世界的にもトップレベルで高性能だと思っていた。しかし、海外では通用しなかった。

それは日本では携帯電話会社からの補助金により高級端末が開発されてからだとか、3Gになるまで通信方式が日本と異なっていたためだとか言われていた。海外では日本の携帯電話ほど高性能ではないが安価なNokiaやモトローラの製品が席巻していた。ドコモのiモードも一時期海外展開をしたが失敗に終わった。

2007年アップルがiPhoneを発表し2009年には日本でも販売され、皆ご存知の通り一気に日本のメーカーのシェアも駆逐された。なぜ日本でiPhoneを作れなかったのか?という指摘もあるがそれはしかたがない。破壊的イノベーションというのは日本の苦手とするところだ。あくまで改善、改良、小型化、高性能化といった路線が日本の得意技だと言われていたからな。

しかし、日本にはまだチャンスがあった。その後Androidが台頭し日本の苦手なソフトウェアの部分はGoogleに任せることができ、日本のメーカーはハードの開発に注力することができた。むしろこれで日本のメーカーは世界と対等に殴り合いができる状態になったはずだった。そして敗北した。ガラケーのときはたくさんのメーカーが携帯電話を作っていたがAndroidの携帯開発となるとパッとせず、パナソニックやNECやら東芝など次第に撤退していった。開発を続けているのはソニーと台湾メーカーとなったシャープくらいで、それも世界的には存在感がない。韓国、台湾、中国メーカーで世界は染まっている。

今振り返ってみると、あのガラケー時代の激しい開発競争は何だったのか?あの時培われた技術は何かの役に立っているんだろうか?成長分野が限られてる中、携帯電話にリソースを集中したはずなのに、その携帯電話市場は海外勢に駆逐されて日本の電機メーカーはもはや行き先がなくなった気がする。

2019年5月8日水曜日

「本当にお疲れ様でした」って丁寧?

先月イチローが引退したときに「本当にお疲れ様でした」ってねぎらってるコメントをよく見かけたけど、なんか違和感があった。もっといい言葉ないの?
何が変なのかというと「お疲れ様でした」には称賛や敬意がないんだよね。あのイチローだよ?前人未到の記録をぶち立てて真摯に野球に取り組む姿は多くの人に感銘を与え尊敬されているあのイチローだよ?
英語だと偉大なキャリアおめでとうという祝福の挨拶がされてるみたいだったけど、日本だと「お疲れ様」ばっかりでそれでいいのか?それ軽すぎないか?そんなのプロになって3ヶ月でレギュラー外れて1年目で引退した選手に対しても使えるじゃないか。

そして今度は天皇陛下の退位に対してもやっぱり「天皇皇后両陛下お疲れ様でした」だよ。失礼じゃないかって話題になってたけど。マナー講師のでっち上げみたいな話になってるけど、そりゃ日本語としては合ってる。敬語として間違ってるとかそういう話じゃない。間違ってはいないがあまり適切ではないと感じる。
明確な根拠があるわけではないが以下の様な点が理由。
  • カジュアルすぎる
    そもそも「お疲れ様です」が便利に日常使われすぎてる。それを天皇陛下の退位の折に使うのは、なにやら結婚式の新郎が普段のスーツ着てるような感じ。確かにフォーマルだけど、もっと上のレベルないのか?
  • 称賛の意味がない
    「お疲れ様」って苦労をねぎらってるだけで内容に触れてない点が使う側としては便利。しかし、素晴らしい仕事をしても大失敗しても「お疲れ様」で済まされてしまうので中身は空虚だ。料理を作ってあげたのに「お疲れ様」だけで味について触れられなかったらまずかったんだろうか?と考えるだろう。
  • 疲れたかどうか勝手に決めんな
    カジュアルに使わすぎてて仕事じゃなくて遊びのあとでも「お疲れー」で解散するのが普通だ。でも遊びだったら疲れたんじゃなくて楽しかったほうがいいだろう。仕事も同じ。穿った見方かもしれないが天職とも言える楽しい仕事をしてるのに「お疲れ様でした」というのは「それ疲れる仕事だよね」と言っているようで失礼にならないだろうか?とちょっとひっかかる。
それじゃ、一体何といえばいいんだよっていう声はよく聞く。確かにこの場面で適切な言い方はこうだっていうコメントは見つからない。おそらく答えはないのだろう。
つまり「いただきます」を英語でなんていうんだ?っていう質問に対しては、英語では食べる前に挨拶をする習慣がないと答えるのと同じように天皇陛下の退位に際して庶民がねぎらう言葉はないのだろう。
なにしろ人間宣言をしたとはいえ現人神という扱いである。神様に対して「お仕事お疲れ様でした」ってピントが外れている。神なのだ。疲れなどせぬわ!

もう一つ。目上の人には「お疲れ様でした」は失礼ではないのか云々で読んだコメントの中に、教師をやっているが教え子に「お疲れ様でした」って言われると腹が立つっていう話は同意する。「お前のためにやってんだろ!」ってなるわ。その枠で考えると天皇陛下は国民のために政をしているわけで、その国民から「お疲れ様でした」って言われたら失礼と捉えられても仕方ないかもしれない。
労うのではなく、感謝すればいいのだ。

2019年4月22日月曜日

諭吉って表現がだいぶ板についてきたよね

紙幣が2024年に刷新されるということで新デザインがの発表がニュースになりました。1万円札が慣れ親しんだ福沢諭吉から渋沢栄一に切り替わるということで違和感があるという意見がありますがここで1984年の「ハイスクール!奇面組」の8巻を見てみましょう。




2019年2月25日月曜日

そもそも有権者にまともな意志決定能力がないのではないのか? という調査 という記事を読む前からどうも民主主義というのはそろそろ限界なのではないか?と思い始めてきた。
Brexitといいトランプ大統領の当選といい、大衆受けだけ狙って理性的とは思えない主張が勝ってしまう出来事が続いてる。先日の沖縄の辺野古米軍基地建設のための埋め立ての賛否の県民投票の結果もなんだか衆愚的だなと思う。
民主主義は国民それぞれが正しい判断で投票してることを前提として成り立ってるわけだけどそんなことないのは自明なわけで、消費税の賛否なんて投票させたら絶対に成立できない。税金は上げない、福祉は充実させる、当然借金まみれでそのままデフォルトするだろう。
選挙なんてその日の天気で結果が変わるんだから全く当てにならない。記事にもあるけど、今の大規模な機械学習で分析したらほとんど政策の中身なんて影響してないことがわかるだろう。
そして昨今のAIブームで制作決定もAIにさせたほうがまともな結果になるんじゃね?っていうのは至極まっとうな意見で、そうなると選挙なんて意味ないのでやらなくなって、そうなると国民主権って何?って状態になって民主主義が終了する。

それでいいんだろうか……。それはそれで合理的で今より人類は幸福になりそうだが、そうなると人間が家畜っぽくなってしまってどうにも嫌悪感がある。しかし、それを避けるシナリオが思いつかない。

2016年5月22日日曜日

甲鉄城のカバネリがよさそう

今ノイタミナ枠で放送中の「甲鉄城のカバネリ」の感想。

絵が随分綺麗で一枚絵で成り立つようなクオリティでアニメーションしてるというのは随分時代が進んだものだなと思ったらかなり凝ったことをしてるらしい。


なるほどね……。気合入ってんな。

パッと見でいろいろ影響ありそうな作品が浮かんでくる。でもそれは年をとっていろんな作品を見てきたからかもしれない。子供の頃に見ればものすごくオリジナリティのある作品に見えたのかものな。
まず、吸血鬼かゾンビものってのはいっぱいあるな。最近だと「がっこうぐらし」が思い浮かぶけど。世界観はスチームパンク。スチームパンクで思い浮かんだのが「スチーム・ボーイ」なんだけど、他にもいっぱいあったよな……。なんか思い浮かばない。サクラ大戦の名前も挙がるけどスチームパンクと菖蒲の大正っぽい格好だよね多分。
あと「進撃の巨人」も挙がってくる。人類滅亡の危機と主人公の敵に対する執念から思い浮かぶよね。でも初っ端は街が襲われるけどそれからは移動しながら戦うのでちょっと「進撃の巨人」からは離れていってると思う。でも最近のヒット作でもあるので随分比較されてるみたい。


しかし、ストーリー展開は「機動戦士ガンダム」だなと思った。ホワイトベースが甲鉄城、ブライトが菖蒲、母艦の戦力は限られていてホワイトベースだとガンダム、ガンキャノン、ガンタンクくらいで甲鉄城は生駒と無名くらいしかない。援軍なく敵に襲われながらひたすら逃走する感じが似てるなーと思った。敵が血の通った人間か化物かでだいぶ違うけど。敵がバケモノだと殺す時の葛藤描く必要なくバッサバッサ殺れるのがいいね。

そんなわけでオリジナリティがあるというより色んな要素を組み合わせて良質のエンターテイメントにしてるという印象です。これだけ組み合わせればオリジナリティあると言ってもいいのかな?

今のところはとても良い感じ。しかし、ノイタミナの作品に多いんだけど、最初のほうで良い感じなのに最後のほうはストーリーめちゃめちゃってのが多いから心配です。

2016年2月11日木曜日

蒼の彼方のフォーリズムが開始5分で駄目だと思った

今やってる「蒼の彼方のフォーリズム」を見てみた。
「恋と選挙とチョコレート」と同じくビジュアルはいい感じであらすじも面白そうだなと思ったんだけど開始5分位でちょっと不安。

なんでスカートのまま空飛ぶの?
パンツ見えるよね?余裕で。
通学手段なんだし現実にあったらまず間違いなく制服スカートやめてズボンかなんかになってるはずなのに、そこら辺が考慮されてなくてなんか先行き不安になった。

事情はわかる。スカートじゃなきゃビジュアルがイケてないからだ。女子、制服、スカート、それはもはやお約束で外すことができないんだろう。でもだからこそ作品を制作するにあたっての姿勢が透けて見える。要するに定番から外すことなく手堅い作品作りを目指してるんだろう。
逆にそれはきっちり世界観を固めて物語に没入できるような作品は目指してないということだろう。それが感じられたからこの作品ダメそうだなと思った。

反重力シューズができて人が空をとぶことが普通になった世界。その世界で人々の生活はどうなるか?そこでいろいろ想像力を働かせて説得力のある世界観を作ってこそ魅力があると思うんだけどな。飛び立つための停留所とか設定を作ったのに、女子高校生がスカートのままで空飛ぶとか、いやおかしいだろう?

せめて飛ぶ時だけスパッツをはく校則になってるとかできなかったんだろうか?そしたら普段はスカートだからビジュアル的にはなんとかなる。
んで、物語のどこかでスパッツがないのに飛ばなきゃいけない事情になって「絶対見ないでよね!」とかいう展開になれば美味しいじゃないか!いつも見せっぱなしより100倍いい!

2015年7月18日土曜日

姦淫聖書

「タイポ」の語源を調べようと思って英語版ウィキペディア見たらタイポの例として"Wicked Bible"がリンクされてた。「姦淫聖書」と言われてるらしい。


モーセの十戒の「汝、姦淫するなかれ」(”Thou shalt not commit adultery”)という節のnotが抜け、「汝、姦淫すべし」(”Thou shalt commit adultery”)と誤植してしまったことに由来する。
 あー、これはかなりやっちまった感があるな。
この版の聖書がこのような言語道断の間違いを含んでいることを知ったチャールズ1世とカンタベリー大主教ジョージ・アボットは激怒した。
そりゃそうだろうな。 なんかもう当時の酒場でおっさんが酔っ払って「だってほらよ~、聖書にも書いてあるじゃねーか、汝、姦淫すべしってな。がっはっは~!」とか言ってる姿が想像つくわ。

2015年6月29日月曜日

「テンパる」の意味がわからない

どうも「テンパる」の意味がよくわからない。

辞書的な意味は調べればわかるんだけどなんか違う。
もとは「テンパイしている」の意味だ。そこから派生して「緊張している」というような意味になっている。
しかし、使う人によって大分ニュアンスが異なる。「緊張している」から「焦っている」、「忙しい」くらいまで幅広い解釈が可能なので「テンパる」の意味ではなく前後の文脈でなんとなく意味を判断しないといけない。俗語というのはそんなもんで「やばい」とかも同じくそれだけ抜き出しても意味はなくて文脈で判断せざるを得ない、というかそれならその単語なくてもいいんじゃーの?っていうのが僕がイラっとする要因だったりする。

閑話休題。
テンパイというのはリーチと同じで後1牌であがれるって状態なんだから極めて有利だ。むしろそれ目指すゲームなんだし。それがなんでネガティブな使われ方になってんだろう?普通に考えてちょっとおかしいと思う。なぜ「テンパる」と「リーチ」でこんなに差がついたのか?!

考えてみたんだけど、これは「テンパる」が使われる状況によるものではないだろうか?リーチは自ら宣言するのでテンパってることは明白であり、そこではテンパってるという表現は使わず、リーチがかかっているという。

では「テンパってる」とはどういうときに使われるのか?
それはリーチを掛けずにテンパイしている(と思われている)時だ。本人が「テンパってます」というわけはないので、周りが「あれ?こいつテンパッてんじゃねーの?」と使われるのが普通だ。

ではどういうときにテンパってると思われるのか?
僕はあまり麻雀に詳しくないし、いろいろな状況があるんだろうけど、一番多いのは危険牌を捨てた時じゃないかな?普通は捨てないような牌を捨てるとき、それはきっとそうせざるを得ない状況に追い込まれているのだろう。だから「テンパってんじゃねーの?」と言われるわけだ。

それに対して当人は「いや、テンパってねーよ」と返すのが常だ。テンパってることを知られるのはそれだけで不利だからテンパっていようがいまいが必ず隠す。

 「テンパってんじゃねーの?」
 「テンパってねーよ」

おや?このやりとりは派生した意味の感じがする。

 「お前、焦ってんの?」
 「焦ってねーよ」

 「お前、緊張してんの?」
 「緊張してねーよ」

「テンパってる」ってこういう感じで使われてる気がする。
もしかして「テンパる」の意味がわからず、この状況だけでなんとなく意味を推測して使われた結果が今の状況なんじゃないだろうか?麻雀知らない人が傍目で見てて「テンパってる?」「テンパってない」のやりとりを聞き、状況から意味を判断して適当に使われた結果、「緊張してる」「焦っている」「忙しい」「動揺している」まで様々な意味に使われることになったんじゃないだろうか?

そうなると今の「テンパる」の使い方がなんだかぼんやりとして意味が取りづらいのも納得がいく。そもそも意味がよくわからずなんとなく意味を推測しつつ使ってたんならそりゃそうなるわな。


2015年6月21日日曜日

幣社

「弊社」に似た表現で「弊行」とか「弊誌」とか自分の組織のへりくだりの表現はいろいろある。
そんな中で具体的には忘れてしまったが「弊〇〇」で見たこと無い表現を見つけたので、そんなのあったかな?と思って検索してみたら、見つからない。

なんかおかしいな?と思ってよく見てみると、元の文をコピペして検索してたんだけど、「弊」じゃなくて「幣」を使ってた。

というわけで見つけたのが 【幣社】(似字科) というページ。この間違いはやりそう!「弊社」くらいなら変換して間違うことはないけど、ちょっと変わった表現になると一旦「弊」を変換してから次の言葉を変換するので間違えることはありそうだ。そしてこのページに書いてあるけど、漢字が違うと意味がぜんぜん違う。

「幣」とは、「神様に供える貢ぎ物」を意味する漢字です。御祓いに用いる「幣束」や神社にある「幣殿」など、神事に関わる多くの熟語も形成しています。私は神事には疎いので詳細は理解していませんが、「貢ぎ物」であるなら、それは「価値あるもの」のはずですね。

 すげー居丈高な態度になるな。


まー、そもそも「弊社」の表現もあまり使いたくないんだけどね。→細かいツッコミ:弊社

2015年6月14日日曜日

旬

「2015年初旬」という記述を見て、あれ?初旬って月はじめじゃないの?って思って調べてみたらやっぱり初旬は月の1日~10日を指すらしい。そもそも「旬」という漢字が10日を表すらしい。へ~。

というわけでWikipediaで旬を調べてみた。

食物などの「旬」も、本来は、その食物が最も良い時期の十日間を意味する。
そういや食べ物の旬も上旬、中旬、下旬も同じ漢字だった。もともとそういう意味なのか―。

「筍」の字は、生え始めて10日以内の竹を意味する。 
 おー、漢字見たらそのまんまじゃん。

2014年5月3日土曜日

「新しい総裁に望むことは?」「きんぴら」はコラ

結構昔のネタだがまだまとめサイトにはたまに出てくるテレビ番組のキャプチャ画面。

よく見る画像
2003年9月最初に見た画像

左がよく見る画像。しかし、僕が初めて見た時は右の画像でキャプションは入ってなかった。番組を見たわけじゃないからもしかしたら右の後に字幕があったのかもしれない。だが比較してみると字幕以外は全く一緒。そもそも字幕の位置がおかしい。本当のテレビ番組なら「仙台」とかぶるような位置には出さないだろう。第一インタビューで質問の聞き間違いを流すだろうか?街頭インタビューなんだから普通カットするよね。だから字幕はおそらくコラだろう。

しかし検索してみてもこれがコラだという情報がほとんどないし先のまとめサイトでも指摘がない。これじゃー普通コラだと気がつかないよね。

コラを作るなとは全然思わないけど、コラならコラでわかるように紹介して欲しいな。でないとこのインタビューが事実と誤認されて広まることになるしこのインタビューされてる人にとっても不名誉な話だ。とはいっても、どうすりゃいいんだろう?作った人と広めた人は違うし、見てる方は気が付かないだろうし。なかなか難しい問題だ。

それにしてもこのコラ作った人センス無いと思うんだけど。もともとは「そんなビジュアルの人にそんなこと聞くな!」っていうインタビュアーに対するツッコミネタだったのに字幕がついて台無しになってる。

2014年4月14日月曜日

パスが通らない

最近見たページで
ホームページのFTPアドレスのパスが通らず、サイトのほうが更新できないので
という表現を見てどういう意味なんだろう?と頭をひねった。URLがわからなくなったという可能性もあるし、パスワードがわからなくなったという意味かもしれない。
もしかしたらと思って調べてみたらパスワードが通らないことを「パスが通らない」と略されるケースもあるようだからこれの可能性が高いなというところで落ち着いた。

プログラマーなどPCに詳しい人には常識だが「パスが通る(通ってる)」とはコマンドが通ること、プログラムの実体があるディレクトリのフルパスを全部書かなくてもプログラム名だけで実行できることを指す。具体的には環境変数にそのディレクトリが登録されてるってことだけど、まー、普通の人にはあまり縁がない表現だ。

しかし、「パスが通らない」なんて言われたら知ってる人ならすぐに環境変数のことだと思うので上記のような表現だとなんのことだ?と頭をひねってしまう。
「パスワードが通らない」の略か!なるほど言われてみるとそうなるが実に紛らわしい。しかしながら一般の人は本来の意味で「パスが通る」を使う場面などなさそうだから、そっちの意味で広まりそうな気がする。
すなわちWikiに縁がないからWikipediaをWikiと略したりUSBメモリーがUSBと略されたりそんな感じ。

2013年10月28日月曜日

これでもくらえ!

T&Tの「これでもくらえ!」の原文はなんだろう?って思って調べたら"Take that, you fiend!"だった。fiendって単語初めて知った。同じ悪魔の意味でもdevilとかsatanとかよく聞くのにねー。

それはともかく「これでもくらえ!」で検索するとすすきののヘルスばかりヒットするというのがなんかちょっと……。

2013年7月3日水曜日

修羅場の意味は?

修羅場の意味は?
  1. 血みどろの激しい戦いや争いの行われる場所。しゅらじょう。「―をくぐりぬける」
  2. 人形浄瑠璃・歌舞伎・講談などで、激しい戦いや争いの演じられる場面。
そうだよね。基本的に争い事が起きてる場所を指してるものだと思ってたけど、どうやら意味が広がっているようだ。
十年間娘と思って愛し育ててきた義娘を、たった一回の幼い失言でここまでどうでもよく思える自分の本性を知って修羅場中。
文脈からすると「落ち込んでる」という意味で使ってるようだ。本来の意味とはだいぶ違っているようだが……。
Wikipediaの修羅場を見ると
日本においては、とくに争いの原因が痴情のもつれである場合を指して用いられることが多い。また、漫画家や同人作家の締め切り直前の忙しい状態のこと指す場合も一般的である。事件・事故などによってパニック状態になっていることを指す場合もある。
なるほど。痴情のもつれによる争いの状態 → 締め切り直前 → パニック状態 という意味の変遷が読み取れる。でも、個人的には飛躍しすぎてるなと感じる。修羅場というのは争いの場であり、激しく物が散乱してる状態が思い描かれるから、夫婦げんかの場面から締め切り直前の仕事場の荒れた様子に結びついているのは理解できる。
しかし、上記の用法だと一人で静かに落ち込んでる様子しか思い浮かばないので、どうも「修羅場」という言葉とは結びつかない。

それにしてもこの項目、こんな俗表現が詳しく載ってるとかWikipediaとは思えない不十分な記述だな。

2013年4月24日水曜日

ふしん

「不振」メールという件名のメールを見たら案の定、「不審」メールの注意喚起だった。


不振 勢い・成績・業績などがふるわないこと。盛んでないこと。また、そのさま。

不審 疑わしく思うこと。疑わしく思えること。また、そのさま。

不信 信じないこと。信用できないこと。


「不信」メールでもいいような気がするが、さすがにメールが不振では困ってしまう。
成績不振で人間不信に陥り不審人物となるとかいろいろ日本語は難しいですね。

2012年9月21日金曜日

細かいツッコミ:〜かもわからない

「〜かもしれない」というところで「かもわからない」という人が結構いる。正しい日本語なのかわからないけど気になる。

とにかくよく聞いたのは朝の「とくだね!」で、小倉さんが口にしている。方言かと思いきや、小倉さんは同郷、秋田人。そんな方言聞いたことないぞ!

「かもしれない」では意味が曖昧になるわけでもなく、逆に文字数も増えてるのに……。
だいたい「かもしれない」と「かもわからない」じゃ意味が違うだろ。
「雨が降るかもしれない」だったら可能性を言及してるが、
「雨が降るかもわからない」だったら、全然知らないことを強調してる。

おんなじようなことを言ってる人もいた。
「~~かもわからない」(=~~かもしれない) という言い方に違和感があるのは私だけでしょうか。

全国放送の番組の司会の日本語がおかしいってのは問題じゃないのかな?それが広まってしまう。

2011年11月28日月曜日

細かいツッコミ:弊社

会社の内部の会議資料(丁寧語ですら使われていない)に
弊社のWebサイトには○○がない。
という感じで書いてあった。
もはや「お客様」と同じである種の定型文で、敬語という認識がないのだろう。本当に敬語なんて意味がない。敬語なんてなくなってしまえばいいのに。

それはおいておいても、この言い方を社内で使うというのはダメだろ。もうあまり意味なんてないんだろうけど、「弊社」は元々「オンボロ会社」という意味で「愚妻」や「愚息」なんかと一緒でへりくだる言い方だ。
もし、家族間で「愚かな妻」なんて言われたらブチギレだろう。同じように社内の会議なのに自分たちの会社を「オンボロ会社」と指してるのは、自虐にもほどがある。当社でいいだろ、当社で。

僕としてはこういう謙譲語は適切に使われていても、随分いやらしい感じがする。もう対外的にもこんなへりくだった言い回し必要ないと思う。全部当社で通せばいい。それで不快に感じる相手がいるのかね?
「当社とはなんだ!弊社と言え弊社と!」ってそれもまたすごい。

2011年11月5日土曜日

細かいツッコミ:レベリング

ネットゲームで結構見かけるんだけど、レベルを上げることを「レベリング」という文化があるようだ。

もちろん、"leveling"のことだろうが動詞の"level"は「水平にする」だし"leveling"は「平ら、水平にすること」だ。キャラクターのレベルを上げるというよりは逆の意味だろう。

それでもなおかつレベリングという言葉が広まるのは「ガイシュツ」のように何か元ネタがあったのか?それとも、なんとなく「レベルを上げる」だからレベリングと言ってるの?みんな辞書も引かないの?馬鹿なの?死ぬの?

あまりに適当な言葉の使い方が腹が立つ。みんな海外に行って「オーダーメイド」とか言ってりゃいいんだ。
和製英語は本当に厄介。最初から意味がわからなければ調べるのに、なまじ「この単語知ってる!知ってる!」って思うから調べない。んで通じない。おかしいな?と思って辞書引いてみたら違ってたという面倒くさいパターン。

「レベリング」が定着しちゃうとこれで「レベルを上げる」って意味だと本気で勘違いする奴が現れないとも限らない。こういう迷惑な表現は撲滅してしまえばいい。